兵庫縣神戸護國神社の碑を読む
概要
兵庫懸神戸護国神社には、兵庫県東部 丹波・摂津・淡路(14市)ゆかりの英霊五万三千二百五十七柱が祀られています。
目次
- 主な慰霊・顕彰碑
- 大東亜戦争に関する碑
- 響第五三三三部隊
- 陸軍少年飛行兵
- 歩兵第百七十連隊
- 第十四飛行団司令部、飛行第六十八戦隊、飛行第七十八戦隊
- 北方異民族
- その他の碑
- 手水鉢
- 歌碑(手水鉢横)
- 句碑
- 近くの寺社、観光地
- 書籍紹介
- 参考
大東亜戦争に関する碑
御霊の冥福を祈る
響第五三三三部隊
碑文
響第五三三三部隊戦歿者慰霊塔
昭和十三年春半ば
内 蒙派遣独立混成第二旅団独立歩兵第二大隊が始めて中国大陸の首都北京に於て編成されて以来、支那事変並びに大東亜戦争に参加中国全土及び南方方面に転戦、戦没された御霊の冥福を祈る為、当時の戦友相寄り浄財を募り茲に、この地を選び建立す
内
昭和四十五年四月吉日
至純にして崇高な精神
陸軍少年飛行兵
碑文
陸軍少年飛行兵顕彰碑
建立の記
日本陸軍航空の華として、昭和九年二月に誕生した陸軍少年飛行兵は、昭和二十年八月の終戦までの間、第一期生から第二十期生まで五万八千八百余名を数える。
その歴史的生命は僅か十二年に過ぎなかったが此の間、日支事変をはじめ、ノモンハン事件、大東亜戦争と常に陸軍航空部隊の中核として敢然と大空の決戦場に出陣し、本県からも多くの少年達が参加した。
若冠十五歳前後で大空を志し、猛訓練に耐え、青春を惜しみなく国の危急存亡に捧げ、その多くは祖国の繁栄と同胞の幸せを祈りながら若き命を雲染む屍 と散っていった。
戦後三十五年、日本の空に平和が訪れ、かつてこれら戦友と苦楽を倶にした兵庫県下在住の生存者ならびに有志相集い、今は亡き戦友の御霊と功績を偲び、若人が国の為につくした栄誉と、至純にして崇高な精神を讃え、その歴史的事実を後世に伝えるとともに、戦争を実際に体験した我々が世界の平和と人類の幸福を祈念してこの碑を建立する。
日本陸軍航空の華として、昭和九年二月に誕生した陸軍少年飛行兵は、昭和二十年八月の終戦までの間、第一期生から第二十期生まで五万八千八百余名を数える。
その歴史的生命は僅か十二年に過ぎなかったが此の間、日支事変をはじめ、ノモンハン事件、大東亜戦争と常に陸軍航空部隊の中核として敢然と大空の決戦場に出陣し、本県からも多くの少年達が参加した。
若冠十五歳前後で大空を志し、猛訓練に耐え、青春を惜しみなく国の危急存亡に捧げ、その多くは祖国の繁栄と同胞の幸せを祈りながら若き命を雲染む
戦後三十五年、日本の空に平和が訪れ、かつてこれら戦友と苦楽を倶にした兵庫県下在住の生存者ならびに有志相集い、今は亡き戦友の御霊と功績を偲び、若人が国の為につくした栄誉と、至純にして崇高な精神を讃え、その歴史的事実を後世に伝えるとともに、戦争を実際に体験した我々が世界の平和と人類の幸福を祈念してこの碑を建立する。
昭和五十六年四月五日
陸軍少年飛行兵出身者の集い 兵庫県少飛会 建立
陸軍少年飛行兵出身者の集い 兵庫県少飛会 建立
慰霊
兵庫県知事 坂井時忠
慰霊
歩兵第百七十連隊
碑文
歩兵第百七十連隊 慰霊之碑
昭和五十八年十一月十三日
歩兵第一七〇聯隊慰霊碑建立委員会
歩兵第一七〇聯隊慰霊碑建立委員会
雄魂
第十四飛行団司令部、飛行第六十八戦隊、飛行第七十八戦隊
碑文
雄魂 第十四飛行団司令部、飛行第六十八戦隊、飛行第七十八戦隊 戦没者
第二次世界大戦時陸軍第十四飛行団は昭和十七年三月満州国パルピンに於いて司令部飛行第六十八戦隊及び飛行第七十八戦隊を以て新編され九七式戦闘機を装備し戦力の充実を図りつゝ北辺の防空にあたり次いで新鋭三式戦闘機飛燕に機種改変 昭和十八年四月及び七月夫々南東太平洋第一戦ニューブリテン島ラバールへ進出 第四航空軍隷下に入り太平洋戦争に参加す 爾来常に優勢なる米英空軍とソロモン・ニューギニア全域に亘り勇戦敢闘し空地に散華せる数多の戦友 更に昭和十九年四月米軍のアイタベ・ナルランジヤに上陸以降はウエワク・ホルランジヤ 分散残留の止むなきに至り物資の補給途絶し孤立無援 連合軍の脅威飢餓病魔と闘い人間の限界を超えて徹底抗戦 遂に南溟に眠る戦友等六百四十三柱なり 嗚呼悲しい哉
茲に生存我等百三名ニューギニア飛燕会の下に集い雄魂碑を建立し戦友の赫々たる武勲を讃え勇姿を偲び永久に英霊の安らかならんことを祈念す
茲に生存我等百三名ニューギニア飛燕会の下に集い雄魂碑を建立し戦友の赫々たる武勲を讃え勇姿を偲び永久に英霊の安らかならんことを祈念す
昭和五十二年五月吉日 ニューギニア飛燕会建立
由来記
ニューギニア飛燕会が編成されて満二十年を迎えるに当り、図らずも昭和天皇の崩御により平成に改元されました。この秋に臨み、本碑に合祀されている戦没者に加えて、新たに判明した戦没者双び英霊の顕彰に献身生涯を全うした戦友を此処に合祀して永くその偉徳を偲ぶと共に慰霊の誠を捧げます
茲に謹んで由来記を刻します。
ニューギニア飛燕会が編成されて満二十年を迎えるに当り、図らずも昭和天皇の崩御により平成に改元されました。この秋に臨み、本碑に合祀されている戦没者に加えて、新たに判明した戦没者双び英霊の顕彰に献身生涯を全うした戦友を此処に合祀して永くその偉徳を偲ぶと共に慰霊の誠を捧げます
茲に謹んで由来記を刻します。
平成元年五月
ニューギニア飛燕会会長 浅野眞照書
ニューギニア飛燕会会長 浅野眞照書
同志への鎮魂
北方異民族
碑文
大戦殉難 北方異民族慰霊之碑
元樺太敷香陸軍特務機関長 同志会代表 元陸軍少佐
扇 貞雄建立
扇 貞雄建立
過ぐる大戦に於て無数の白系ロシア人、ギリヤーク人、オロッコ人が中野の子等と共に理想に参画し、非情なる最後を遂げ、帰るに安住の祖国さえなき事実を知らざる者、今日余りにも多い。
永久凍土を吹きすさぶ風に、或は北大洋の怒涛音に、これら北方異民族の亡き同志の声を聴くものは日に日に少なくなって来ている。この碑はこれら残り少ない生き証人にかわって死の意味を問い続ける昭和の語部となろう。
そしてこの碑の祈念するところは、余りにも報われることのない故北方異民族同志への鎮魂であり、盤石深く刻み込まれたものは祖国の永遠の安泰であり、平和の二文字である。
永久凍土を吹きすさぶ風に、或は北大洋の怒涛音に、これら北方異民族の亡き同志の声を聴くものは日に日に少なくなって来ている。この碑はこれら残り少ない生き証人にかわって死の意味を問い続ける昭和の語部となろう。
そしてこの碑の祈念するところは、余りにも報われることのない故北方異民族同志への鎮魂であり、盤石深く刻み込まれたものは祖国の永遠の安泰であり、平和の二文字である。
昭和五十年五月十九日
全国壱万参千五百有余名
建立同志会代表 扇 貞雄
全国壱万参千五百有余名
建立同志会代表 扇 貞雄
その他の碑
手水鉢
碑文
奉献
兵庫懸神戸護國婦人会
昭和三十四年十月吉日
昭和三十四年十月吉日
歌碑(手水鉢横)
碑文
六甲の 岩根 さくみ て 御手洗に
いまほとはしる 五ついろの水
いまほとはしる 五ついろの水
宮司 久保田 善三郎 謹作
奉献
昭和三十五年四月吉日
横田いと
横田いと
句碑
碑文
合掌の まぶたに浮かぶ なきすがた
米寿 月南
いこい川柳会
昭和四十九年十月建立
昭和四十九年十月建立
近くの寺社、観光地
まやビューライン(徒歩14分)
六甲ケーブル(徒歩30分)
書籍紹介
参考
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