三重懸護國神社の碑を読む

概要

三重懸護國神社には、禁門の変・戊辰戦争から大東亜戦争までの三重県にゆかりのある60,300余柱の英霊が合祀されています。
車で5分ほどの場所に、津城と藤堂高虎を祀る高山神社があります。
また、車で10分ほどの場所には、結城宗広ゆうき むねひろ公を祀る結城神社があります。

三重懸護國神社

三重懸護國神社 インスタグラム

津城

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目次

  1. 大東亜戦争に関する碑
  2. 特攻勇士
  3. 歩兵第五十一聨隊
  4. 歩兵第百三十三聨隊
  5. 歩兵第百五十一聨隊
  6. 陸軍少年飛行兵
  7. 近衛歩兵第一聯隊
  8. 母の像
  9. その他の碑
  10. 天皇陛下 皇后陛下 御親拜記念
  11. 御英霊
  12. 遺品資料館
  13. 近くの寺社、観光地
  14. 書籍紹介
  15. 参考

大東亜戦争に関する碑

決してあなたたちを忘れない
特攻勇士

あぁ特攻勇士之碑
碑文
あゝ特攻
私たちは決してあなたたちを忘れない
㈶特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会
日本人の心を伝える会
令和二年四月二十九日
英霊にこたえる会三重県本部
関連

赫々たる武勲を収む
歩兵第五十一聨隊

歩兵第五十一聨隊
碑文
慰霊 歩兵第五十一聨隊
聯隊は明治三十八年創建、樺太等に出兵 爾後神都鎮護の大任を以て、三重縣久居市に駐屯す。然るに大正十四年五月、軍縮により廢止せらる。
昭和十三年七月、日華事變の擴大に伴ひ再建、三重、京都、奈良で編成を完結、第十五師團の隷下に入り同年八月渡支、南京東南地區に分駐し、治安警備並に各作戦に参加、赫々たる武勲を収む。
大東亜戰急を告ぐるや、昭和十八年八月ビルマに轉進、インパール作戦に加はり眞に特攻精神を發揮す。昭和二十年八月十五日大命により終戦。此の間軍旗の下盡忠報國祖国繁栄を祈念しつゝ國家の人柱となられた戦友は實に四千有餘柱に及ぶ。
茲に護國の神となられた英霊の名を誌し供華に納め鎮魂の碑となす。
昭和五十一年四月
歩兵第五十一聯隊(祭第七三七〇部隊)生存者一同

民族の榮光に殉じたる
歩兵第百三十三聨隊

歩兵第百三十三聨隊
碑文
歩兵第百三十三聨隊 戦没者慰霊碑
慰霊碑銘
歩兵第百三十三連隊(嵐第六二一四部隊)は支那事変に際し昭和十三年五月久居町の屯營において編成 第百十六師團に属して同六月中國に出征し第十三軍に隷す 当初浙江省杭州府附近ついで安徽省銅陵県附近を戡定駐留し揚子江警備に任じつつ江南江北に轉戦幾十度に及ぶ 特に十三年秋 武漢攻略戦には遠く漢陽に進撃し 十四年冬 敵十数個師による冬季大攻勢を迎えては之を陣前に撃摧 十五年四月春季皖南作戦には挺身して霊峰九華山の天嶮を突破 敵主力を捕捉 榮の感状に輝き 十七年夏 浙贛作戦には浙江省衢州城外西北陣地帯を一舉に席捲 軍の衢州攻陥に貢献す
十八年戦力を増強して同年秋 第十一軍に轉じ常徳殲滅作戦に参加 輻輳する水濠を連続突破して湖南省常徳県城攻略に任じ力戦死闘七晝夜 遂に之を完全占領し再度の感状に浴す
十九年夏 大陸の精鋭三十六萬 湘桂打通に動くや勇躍ます汨水を血流と化してその堅陣を突破し湘潭を奪い湘郷に敵を圧し更に長駆衡陽県城攻略の主攻に任ず 蓋し衡陽攻略は湘桂作戦成否の焦点たり 七月一日クロ高地攻撃の初動より八月七日敵主陣地岳屏西方エビ高地を奪取して守備軍の死命を制するまで終始全軍の先陣に立ち白兵をもって奪取せる堅壘十数個 遂に敵牙城を抜く 感状三度として偉勲を讃う
爾後第二十軍に属して寶慶附近を警備し 二十年春 湘西作戦起るや勇進して芷江敵航空基地前面に迫りたるも五月命により反轉 寶慶附近陣地に死守玉砕を期しつつ 八月 終戦の大詔を拜するに至る
聯隊の戦陣に在ること八年に及び この間 鋒鏑疫病に斃れたる戦友四千五百余柱を数う
新生日本既に三十年 ここに慰霊碑を建て 祖國の安危に挺身 民族の榮光に殉じたる戦歿戦友の遺烈を偲び 在天の英霊永しへに安らかならんことを祈る
昭和五十一年四月 一三三会建之

永久に安らかならんことを
歩兵第百五十一聨隊

歩兵第百五十一聨隊
碑文
歩兵第百五十一聨隊戦没者慰霊碑
三重県知事 田川亮三 謹書
慰霊碑銘
歩兵第百五十一聯隊(安第一〇〇二二部隊)は 昭和十六年九月三重県久居町に新設され 昭和十八年十一月動員下令 昭和十九年三月ビルマ国へ出動した
聯隊主力はインド国インパール攻略戦に 第一大隊は北ビルマ戦線に五月より参加した
時あたかもビルマは雨期に入り 山中にて食糧その他の補給も無く 栄養失調と過労により身体は衰弱し マラリヤ 下痢等に悩みながらも勇戦奮闘した 十一月よりオークトウ マンダレー タウンタ付近の戦闘に参加し 優秀な装備の敵と交戦 戦場は惨烈苛酷をきわめた その後各地を転戦し 昭和二十年六月より雨期の泥沼の如きシツタン河口に於て 必死の攻防戦を展開中 八月終戦の大詔を拜するに至った
風土の異なる遠き辺境に於いて 戦陣にあること一年五か月 この間連合軍 悪疫との戦に斃れたる戦友は二千九百余柱を数える 誠に痛恨の極みである
ここに慰霊碑を建立し 祖国に殉じたる戦友の遺烈を偲び その功績を顕彰する 在天の英霊願わくは永久に安らかならんことを
昭和五十五年十月
歩兵第百五十一聯隊戦友会建之

尊い命で築かれた平和日本
陸軍少年飛行兵

陸軍少年飛行兵
碑文
奉燈
陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑
大東亜戦争に於いて三重県出身陸軍少年飛行兵七十八柱が散華されました
尊い命で築かれた平和日本の姿を後世に伝えるため生存者一同先輩同期の慰霊顕彰の証としてここに燈籠を奉納するものであります
散華された陸軍少年飛行兵の英霊に鎮魂の誠を捧げます

近衛歩兵第一聯隊

近衛歩兵第一聯隊
碑文
近衛歩兵第一聯隊
平成21年4月建之 三重県近歩一会

世界の恒久平和を祈って
母の像

母の像
碑文
母の像
強くきびしく やさしかった母 おかげで 今 私たちがある お母さん ありがとう
この像は先の大戦で幼くして父を失った県下の遺児達が戦後の母の労苦に感謝して偉大な母の姿を永遠に讃えると共に惨めだったその深い悲しみをくり返すことのないようにと世界の恒久平和を祈って建立致しました
昭和五十年十二月 三重県遺族会青壮年部
大東亜戦争における主要戦域別陸海軍人軍属戦没者数一覧表
先の戦争でこんなに多くの尊い人命が失われました。われわれはこの皆さんに応えるため、世界の恒久平和と繁栄に努めることを誓います。お父さん、安らかにお眠り下さい。
終戦50周年記念 平成7年5月建立
三重県遺族会青壮年部

往時を偲ぶ
遺品資料館

御英霊
説明文
「御英霊」 私たち日本人は日本の為に尊い命を捧げられた人々の御霊をこう呼んできました。
幕末開国以来、日本は近代国家となる為に幾度かの国事国難を経なければなりませんでした。
祖国の繁栄と安泰を願い、家族の将来を案じながら命をかけて平和の礎となられた三重県出身戦没御英霊六万三百余柱の御霊をご祭神としてお祀りし、郷土三重の平和と繁栄の神様として崇敬されているのが三重県護国神社です。
この遺品資料館には、御英霊のご遺族から奉納された数々の遺品・遺留品をはじめ戦友・崇敬者より奉納された資料などを中心に展示してあります。
ご英霊の清く尊いご功績を称えると共に往時を偲び、今私達が、日々平和で豊かな日本に暮らしていることをあらためて護国の神様に感謝しましょう。

その他の碑

天皇陛下 皇后陛下 御親拜記念

天皇陛下 皇后陛下 御親拜記念
碑文
天皇陛下 皇后陛下 御親拜記念
昭和五十年十月二十七日當三重懸護國神社に行幸啓あらせられ親しく御拜を賜った この栄光を永く傳えるべく記念の碑を建立する
昭和五十一年十月二十一日
宮司 宇治土公貞幹 謹書

御英霊

御英霊
碑文
献燈 御英霊の神前に捧ぐ
平成十年師走吉日 三重懸護國神社奉賛會
謹書 宮司 宇治土公貞幹

近くの寺社、観光地

津城、高山神社(車で5分)

結城神社(車で11分)

書籍紹介

参考

境内のご案内 | 三重懸護國神社

三重懸護國神社|桜花の花

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