年表(北朝鮮による拉致)

前書き

拉致事件は、過去の出来事ではなくて、今起きていること。これからも起こり得ること。他人事ではなくて、自分や自分の家族に起こり得ること。

同胞がさらわれたまま、我々は一体何をしているのでしょうか。今取り返しに行かないで、いつ行くのでしょうか。

およそ80年前に、祖国を護る為に戦った先人を、今、誇りに思います。翻って、拉致された同胞を取り返しに行かない我々を、80年後に、後人はどう思うでしょうか。

安倍総理でさえ取り返せなかった今、どうしますか。

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目次

  1. 年表
    • H16
      拉致被害者の家族8人が帰国
    • H14
      拉致被害者5人が帰国
    • S63
      拉致事件について政府が北朝鮮の関与に言及する
    • S55
      拉致事件が初めて報道される
    • S34
      在日朝鮮人帰還事業が始まる
  2. 参考

年表

令和

令和3年  2021年
  • 12/18
    飯塚繁雄さんが逝去 ↓19年前↓30年前↓43年前
令和2年  2020年
  • 7/10
    地村保さんが逝去 ↓18年前↓40年前↓42年前
  • 6/5
    横田滋さんが逝去 ↓6年前↓18年前↓23年前↓43年前
  • 2/3
    有本嘉代子さんが逝去 ↓18年前↓32年前↓37年前
令和元年  2019年

平成

平成31年  2019年
平成30年  2018年
平成29年  2017年
  • 12/11
    ジェンキンスさんが逝去 ↓13年前
  • 11/20
    アメリカは北朝鮮をテロ支援国家に再指定
  • 11/6
    曽我ひとみさんと拉致被害者家族が、トランプ米大統領と面会(迎賓館)
  • 2/3
    増元信子さんが逝去 ↓15年前↓37年前↓39年前
平成28年  2016年
  • 2月
    北朝鮮が、拉致問題の再調査を行う特別調査委員会を解体 ↓2年前
平成27年  2015年
平成26年  2014年
  • 8/4
    市川平さんが逝去 ↓12年前↓34年前↓36年前
  • 5/29
    日朝政府間協議で合意(ストックホルム合意)
    北朝鮮が全ての拉致被害者の再調査を約束
    →拉致問題の再調査を行う特別調査委員会を設置 ↑2年後
  • 4/27
    家族会が1029万4203名分の署名を安倍首相に提出
  • 4/24
    拉致被害者家族がオバマ米大統領と面会(迎賓館)
  • 3月
    横田さん夫妻が孫娘のウンギョンさんと面会(モンゴル) ↓18年前↓23年前↓43年前↑6年後
平成25年  2013年
平成24年  2012年
平成23年  2011年
  • 12月
    金正日が死去、金正恩に代替わり
平成22年  2010年
平成21年  2009年
平成20年  2008年
  • 10月
    アメリカは北朝鮮をテロ支援国家から除外
  • 8/4
    市川トミさんが逝去 ↓6年前↓28年前↓30年前
平成19年  2007年
  • 4/12
    警察は、高敬美(コキョンミ)さん、高剛(コガン)さんの失踪を、北朝鮮による拉致と断定(計13件19名) ↓34年前
平成18年  2006年
  • 11/20
    政府が松本京子さんを拉致被害者に認定(計12件17名) ↓29年前
  • 4/29
    拉致被害者家族がブッシュ米大統領と面会(ホワイトハウス)
平成17年  2005年
  • 4/27
    政府が田中実さんを拉致被害者に認定(計11件16名) ↓9年前↓27年前
  • 2/8
    家族会が500万人分の署名を細田官房長官に提出
平成16年  2004年
平成15年  2003年
  • 1/10
    「特定失踪者問題調査会」が発足
  • 1/6
    拉致被害者支援法に基づき、政府が拉致被害者を認定(10件15名)
平成14年  2002年
  • 12/19
    天皇陛下が拉致事件についてお触れになる(天長節に際し) →詳細
  • 10/20
    皇后陛下が拉致事件についてお触れになる(地久節に際し) →詳細
  • 10/17
    増元正一さんが逝去 ↓22年前↓24年前
  • 10/15
    拉致被害者5人が帰国 ↓22年前↓24年前
    蓮池薫さん、奥土祐木子さん、地村保志さん、浜本富貴恵さん、曽我ひとみさん
  • 10/3
    寺越武志さんが一時帰国 →動画 ↓15年前↓39年前
    建前は、北朝鮮の金英浩(キム・ヨンホ)として訪問
  • 9/17
    日朝首脳会談(1回目) →動画
    金正日が拉致を認めて謝罪
    北朝鮮が14人の情報を示す(5人生存、8人死亡、1人入国なし) ↓19年前↓22年前↓24年前↓25年前
    生存:蓮池薫さん、奥土祐木子さん、地村保志さん、浜本富貴恵さん、曽我ひとみさん
    死亡:市川修一さん、増元るみ子さん、横田めぐみさん、原敕晁さん、田口八重子さん、有本恵子さん、石岡亨さん、松木薫さん
    入国なし:久米裕さん
    その他:横田めぐみさんに娘がいる
    ※死亡を裏付けるものは一切なし
    北朝鮮側主張の問題点|政府 拉致問題対策本部
  • 4/6
    地村登志子さんが逝去 ↓22年前↓24年前
  • 3/12
    有本恵子さん拉致の全容が判明 ↓14年前↓19年前
    よど号ハイジャック犯の元妻である八尾恵が、有本恵子さんをだまして、北朝鮮に行かせたことを法廷で証言。
平成13年  2001年
平成12年  2000年
  • 6月
    北朝鮮と韓国の南北首脳会談(1回目)
平成11年  1999年
平成10年  1998年
平成9年  1997年
  • 11/8
    北朝鮮にいる日本人妻が初めて里帰り ↓38前年
    計3回にわたり43人が一時帰国(平成9年~平成12年)
  • 8/18
    兵庫で加藤小百合さん(33)が失踪
  • 5/7
    「7件10人」の拉致被害者を警視庁が認める

    ○政府委員(伊達興治君) (前略)御指摘の新潟県における少女行方不明事案も拉致の疑いがあると判断し、全体で七件十人と判断するに至ったところでございます。また、拉致が未遂であったと思われるものは一件二人であると判断しております。
     新潟における少女行方不明事案以外、これらの事例の内訳は、昭和五十二年に石川県警察が外国人登録法違反等で検挙した宇出津事件、昭和五十三年七月から八月にかけて福井、新潟、鹿児島の海岸で連続発生した三件のアベック行方不明事件、同年八月に富山県の海岸で発生したアベック監禁致傷事件、拉致未遂であります。それから、昭和六十年に韓国で検挙された辛光沫事件、それに李恩恵と呼ばれる日本人女性の事件であります。(後略)

    第140回国会 参議院 決算委員会 第2号 平成9年5月1日 No.023~
  • 3/25
    北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)が結成
  • 2/7
    「6件9人」の拉致被害者を政府が認める →詳細
  • 2/3
    実名を挙げて国会質問 →詳細、動画
  • 2/3
    実名を挙げて報道 ↓前年↓20年前

    産経新聞の記事(平成9年2月3日付朝刊1面)
    「20年前、13歳少女拉致」
    新潟の失踪事件と酷似 韓国からの情報
     昭和五十二年に新潟県で失跡した女子中学生(当時十三歳)が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致されていた可能性が二日までに強まった。韓国当局側から日本政府、公安当局にもたらされた亡命工作員の証言が、少女の失跡当時の状況と酷似しているためで、公安当局は重大な関心を示している。
     韓国側から公安当局への非公式な情報によると、亡命工作員(氏名、亡命日時などは明らかにされていない)は韓国の公安当局にほぼ次のような証言をした。
     (昭和五十一年か二年ごろ)十三歳の少女がバドミントンの練習を終えて帰宅する途中、日本の海岸から北朝鮮へ連れ去られた。海岸から脱出しようとした北朝鮮工作員が、少女に目撃されたため連れ去ったという。朝鮮語を勉強すれば、帰してやるといわれたが、成人に近づいたころ、その望みがないことを知って精神的に落ち込み、入院した。少女は双子の妹だという。
     この工作員自身が、拉致に関与したのではなく、少女の入院中に、この話を知ったという。
     今年になり、この工作員の証言が、昭和五十二年十一月十五日に新潟市で起きた、同市水道町に住んでいた銀行員の長女、市立寄居中一年、横田めぐみさん(当時十三歳)の失跡状況と酷似することが明らかになった。
     当時の新聞報道や、めぐみさんの父親によると、午後六時三十五分ごろ、バドミントンのクラブ活動を終え、友人と三人で、五百メートルほど離れた自宅へ徒歩で向かった。すでに辺りは真っ暗。家まで三分のところで友人と別れて家の方へ向かったのを最後に行方を絶った。警察犬の追跡は、自宅から百メートルほどの曲がり角でぷっつり。その先にも民家が数軒あったが、百メートル先は防風林の松林、雪捨て場、日本海。
     新潟中央署は公開手配し、事件、事故、自殺などあらゆる可能性を調べ、巡視艇、ヘリコプターを動員して捜索したが、手がかりはつかめずに終わった。
     工作員の証言に登場する少女と、めぐみさんは、年齢が十三歳、バドミントンのクラブ活動をしていた、海岸近くでの失跡-の共通点がある。また、「双子の妹」とされることについても、めぐみさん自身ではなく、四歳下に双子の兄弟がいるなど、偶然とは思えない符合もある。
     昭和五十三年には日本海沿岸などでアベック連続蒸発事件が発生し、国会答弁で政府は北朝鮮の犯行関与を示唆しているが、公安当局は、めぐみさんについても慎重に情報収集を進めている。

平成8年  1996年
  • 12月
    田中実さん拉致が暴露される ↓18年前↑9年後
    平成9年1月号の「文藝春秋」に、神戸市在住の在日、張龍雲(チャン・ヨンウン)氏が、自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白して、同組織の韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)が共謀の上、昭和53年(1978)6月6日、田中さんをウィーンに連れ出し、モスクワを経由して平壌へ拉致した事を暴露した。
    田中実さんについて|救う会
  • 9月頃
    石高健次さんが現代コリアに論文を寄稿 →動画 ↑翌年

    亡命工作員の供述(現代コリア・一九九六年十月号三十一頁)
     日本の海岸からアベックが相次いで拉致される一年か二年前、恐らく七六年のこと、十三歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かは知らない。少女は学校のクラブ活動だったバトミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった。海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰った。
     少女は賢い子で、一生懸命勉強した。『朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる』と言われたからだった。そして、十八になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、その事実を知った

    北朝鮮工作組織による日本人誘拐拉致に関する質問主意書 平成九年一月二十三日提出
  • 4/5
    福井で田中浩史さん(35)が失踪
平成7年  1995年
  • 8/28
    松永正樹さん(30)が失踪
平成6年  1994年
  • 7月
    金日成が死去、金正日に代替わり
  • 2/14
    沖縄で富川久子さん(35)が失踪
平成5年  1993年
  • 6/7
    千葉で田中正道さん(44)が失踪
平成4年  1992年
  • 11月
    日朝国交正常化交渉中断
    日本政府が、李恩恵(リウネ)の消息調査を求めたことに、北朝鮮が反発
  • 6/12
    北海道で武山京子さん(56)が失踪
  • 5/15
    秋田で松橋恵美子さん(26)が失踪
平成3年  1991年
  • 12月
    ソビエト連邦が崩壊
  • 11/3
    大阪で福山ちあきさん(18)が失踪
  • 10/15
    静岡で橘邦彦さん(19)が失踪
  • 9/22
    兵庫で森本規容子さん(18)が失踪
  • 7/19
    北海道で小野寺将人さん(24)が失踪
  • 5月
    警察が李恩恵(リウネ)を田口八重子さんと断定 ↓4年前↓13年前↑30年後
  • 4/22
    埼玉で佐々木悦子さん(27)が失踪
  • 3/28
    韓国で大政由美さん(23)が失踪
  • 1月
    日朝国交正常化交渉開始
平成2年  1990年
  • 12/13
    岡山で清水桂子さん(22)が失踪
  • 10月
    美浜事件 →詳細
  • 2/7
    山口で河田君江さん(23)が失踪
平成元年  1989年
  • 12/27
    福井で山下貢さん(39)が失踪

昭和

昭和64年  1989年
昭和63年  1988年
  • 9月
    石岡亨さんから実家に手紙が届く ↓5年前↓8年前↑14年後
    石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの3人が北朝鮮に滞在している旨が記載
  • 8/19
    宮崎で和田幸二さん(31)が失踪
  • 8/2
    鳥取で矢倉富康さん(36)が失踪
  • 7/17
    宮崎で林田幸男さん(53)、水居明さん(52)が失踪
  • 3/26
    拉致事件について政府が北朝鮮の関与に言及する

    ○国務大臣(梶山静六君) 昭和五十三年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、御家族の皆さん方に深い御同情を申し上げる次第であります。

    第112回国会 参議院 予算委員会 第15号 昭和63年3月26日 No.055~
  • 1月
    アメリカは北朝鮮をテロ支援国家に指定
昭和62年  1987年
  • 11/29
    大韓航空機爆破事件

    日本人名義の偽造旅券を所持した北朝鮮工作員の金勝一(キム・スンイル)と金賢姫(キム・ヒョンヒ)が、バグダッド発アブダビ、バンコク経由ソウル行きの大韓航空機858便に時限爆弾を仕掛け、アブダビからバンコクへ向かう途中のビルマ南方アンダマン海域上空で爆破させ、乗員乗客115人全員を殺害
    「李恩恵(リウネ)という日本から拉致された日本人女性から教育を受けた」と金賢姫が発言 →詳細 ↑4年後

  • 9/3
    寺越友枝さんが北朝鮮に渡り、寺越武志さん、寺越外雄さんと面会 →動画 ↓24年前↑15年後
  • 6/6
    大阪で尾上民公乃さん(20)が失踪
  • 3/15
    京都で西安義行さん(21)が失踪
  • 1/22
    寺越外雄さんから家族へ手紙が届く

    寺越昭二氏、寺越外雄氏そして寺越武志氏(以下、敬称略)の三人は、昭和三十八年五月十一日、日本海に同じ船に乗って漁に出て帰らず、破損した船だけが発見されたので、遭難したと思われていたところ、失踪から二十四年後の昭和六十二年一月二十二日、寺越外雄から日本にいる姉に、北朝鮮で生活しているという手紙が届き、失踪当時十三歳の寺越武志も北朝鮮にいることが判明したのであるが、失踪当時、彼等に日本海上で自分達の船を離れて北朝鮮に渡航する意志も手段もあろうはずはないので、その時彼等は、北朝鮮に日本海上で拉致されたと考えるのが合理的である。

    寺越昭二氏、寺越外雄氏そして寺越武志氏の拉致認定に関する質問主意書 平成十九年十月二十六日提出
昭和61年  1986年
昭和60年  1985年
  • ーー
    西新井事件

    北朝鮮の工作員であるチェ・スンチョルが、日本人に成り代わっていたことが発覚 ↓24年前
    小熊和也さんは病死、小住健蔵さんは行方不明

    北朝鮮による拉致容疑事案|警視庁
  • 12/4
    兵庫で秋田美輪さん(21)が失踪
  • 11/22
    東京で林かな子さん(25)が失踪
  • 4/30
    埼玉で今津淳子さん(27)が失踪
  • 2月
    北朝鮮の工作員である辛光洙(シン・ガンス)を韓国当局が逮捕 ↓5年前

    辛光洙が、原敕晁さん(43)を北朝鮮に拉致して、原さんに成り代わっていたことが発覚

    北朝鮮による拉致容疑事案について|警察庁Webサイト
昭和59年  1984年
  • 6/4
    山梨で山本美保さん(20)が失踪 ↑20年後
  • 4/2
    福井で河合美智愛さん(20)が失踪
昭和58年  1983年
  • 10/17
    京都で松本重行さん(48)が失踪
  • 7月
    欧州で有本恵子さん(23)が失踪 ↑5年後↑19年後↑37年後
昭和57年  1982年
昭和56年  1981年
  • 12/5
    三重で辻興一さん(32)が失踪
  • 6/20
    石川で安達俊之さん(18)が失踪
  • 3/16
    北海道で長尾直子さん(20)が失踪
昭和55年  1980年
  • 12/18
    富山で山田建治さん(30)が失踪
  • 8/10
    神奈川で寺島佐津子さん(19)が失踪
  • 6月
    宮崎で原敕晁さん(43)が失踪していた ↑5年後↑22年後
  • 5月
    欧州で石岡亨さん(22)が失踪 ↑8年後↑22年後
  • 5月
    欧州で松木薫さん(26)が失踪 ↑8年後↑22年後
  • 1/13
    京都で小久保稔史さん(32)が失踪
  • 1/7
    拉致事件が初めて報道される →関連 ↓2年前↑22年後
    産経新聞の記事(昭和55年1月7日付朝刊1面)
    「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」
    ◆点を線に結んだ「一報」
     裏日本の海岸部、福井、新潟、鹿児島の各地でナゾの連続アベック蒸発事件があり、男女六人が失跡していることが警察庁の調べで判明した。事件は、富山でのアベック誘かい未遂事件を端緒にあきらかになったもので、発生は五十三年夏の四十日間に限られており、同庁は六日、この連続蒸発および誘かい未遂事件が同一犯人によるものと断定した。犯行はきわめて計画的で広域にわたるが、富山の現場に残された犯人グループの遺留品が、国内では入手不可能なことや、失跡当時、現場に近い沿岸でスパイ連絡用とみられる怪電波の交信が集中して傍受されていることなどから、外国情報機関が関与している疑いも強く出ている。
     アベック誘かい未遂事件は五十三年八月十五日、富山県高岡市島尾海岸で発生した。犯人は男の四人組。アベックはサルグツワをかまされたうえ、手に手錠、足をヒモでしばられ、さらに頭から布袋をかぶせられて近くの松林にかつぎこまれた。犯人は「静かにしなさい」といったきり、あとは無言。しかし、近所の人が近づくのに気づいたのか、間もなく逃走、アベックは難をまぬがれた。
     富山県警の捜査でこの事件の特異性がしだいにあきらかになった。手錠、サルグツワ、布袋、ヒモなど遺留品のほとんどが、日本では入手不能の外国の製品。犯人のかっこうも、ステテコに白い上着、ズックぐつと、異様だった。だが事件はナゾのまま特異な誘かい未遂事件として警察庁に報告された。

     同庁は全国の県警に類似事件の報告を求め、検討を行った結果、この未遂事件発生の約一カ月前から集中的に三件の失跡事件が発生していることをつきとめた。
     最初の事件は同年七月七日、福井県小浜市青井海岸で、第二の事件は同月三十一日、新潟県柏崎市中央海岸で、そして第三の事件は未遂事件の三日前にあたる八月十二日、鹿児島県日置郡吹上浜海岸で発生していた。
     いずれもデートに出かけた海岸から、午後七時-九時の間にこつ然と姿を消した。六人の職業はまちまちだが、年齢は二十歳代。三組とも家族に交際を認められ、結婚式の日取りも決まっていたケースもある。また、運転免許証や預金通帳も自宅に残しており、各県警の捜査の結果でも、家出や心中の可能性は、まったく浮かんでいない。
     さらに、水死などの事故の可能性についても、大規模な捜索を行ったが、結局、遺体は見つからなかった。
     警察庁では、昨年末、関係四県警と会議を持ち三件の失跡と富山の未遂事件を総合的に分析、検討した結果、(1)失跡の三件には自殺、家出、事故死の可能性がない(2)いずれも海岸から行方を絶っている(3)五十三年夏に集中し、失跡の状況が酷似している(4)被害者は四件とも若いカップルばかり(5)海岸からのナゾの失跡は、一昨夏以前も以後も起きていない-などから、未遂事件を含めた四件は同一犯人グループによる犯行と断定、刑事局が指揮をとって追及に乗り出している。
     現在、犯人グループがなぜ、若いアベックを連れ去る必要があったのかという犯行の動機、目的に焦点がしぼられているが、アベックをまっ殺して、その戸籍を入手、何らかの“工作”に利用しようとしたのではないか、と推定している。また、犯人グループの割り出しと同時に、背後の組織解明が進められている。
     四件の現場は、いずれも、これまでに外国情報機関のスパイが上陸したことのある海岸に近く、事件前後に、不審な外国船が現場近くに停泊していたという有力情報もある。さらに五十三年夏は、外国を発信源とするスパイ連絡用の怪電波が急激に増えたという事実が警察庁当局によって確認されている。
     富山の現場から外国製の遺留品が数多く発見されたことや犯行の手口とあわせ、関係者の間では外国情報機関がかかわっていたのではないかという見方を強めている。
昭和54年  1979年
昭和53年  1978年
  • 8/15
    富山でアベック拉致未遂 →詳細 ↑2年後
  • 8/12
    新潟県で曽我ミヨシさん(46)と曽我ひとみさん(19)が失踪 ↑24年後
  • 8/12
    鹿児島で市川修一さん(23)と増元るみ子さん(24)が失踪 →詳細 ↑2年後↑24年後↑30年後↑36年後↑39年後
  • 7/31
    新潟で蓮池薫さん(20)と奥土祐木子さん(22)が失踪 →詳細 ↑2年後↑24年後
  • 7/7
    福井で地村保志さん(23)と浜本富貴恵さん(23)が失踪 →詳細 ↑2年後↑24年後
  • 6月
    田口八重子さん(22)が失踪 ↑13年後↑24年後↑43年後
  • 6月
    欧州で田中実さん(28)が失踪 ↑18年後↑27年後
昭和52年  1977年
  • 11/15
    新潟で横田めぐみさん(13)が失踪 →詳細 ↑20年後↑25年後↑37年後↑43年後
  • 11/14
    鳥取で古都瑞子(通称:洋子)さん(47)が失踪
  • 10/22
    北海道で前上昌輝さん(20)が失踪
  • 10/21
    鳥取で松本京子さん(29)が失踪 ↑29年後
  • 9月
    宇出津(うしつ)事件

    北朝鮮工作員に取り込まれた在日朝鮮人が、久米裕さんをだまして石川県の宇出津海岸に連れ出し、北朝鮮工作船で迎えに来た別の北朝鮮工作員に同人を引き渡した。
    当該在日朝鮮人は、同月、石川県警察が検挙。
    久米さんに戸籍抄本を持参させていた。

    北朝鮮による拉致容疑事案について|警察庁Webサイト
  • 5/21
    埼玉で新木章さん(29)が失踪
  • 3月
    布施範行さん(23)が失踪
昭和51年  1976年
  • 8/2
    山口で国広富子さん(24)が失踪
  • 2/7
    埼玉で藤田進さん(19)(同姓同名の失踪者あり)が失踪
昭和50年  1975年
  • 4/4
    兵庫で萩本喜彦さん(35)が失踪
昭和49年  1974年
  • 8/17
    福井で山下春夫さん(28)が失踪
  • 7/11
    千葉で峰島英雄さん(21)、関谷俊子さん(17)、遠山常子さん(17)が失踪
  • 6/14
    兵庫で清崎公正さん(41)が失踪
  • 2/24
    新潟で大澤孝司さん(27)が失踪
  • 1/12
    福岡で三浦和彦さん(21)、波多野幸子さん(18)が失踪
昭和48年  1973年
  • 12月
    東京で渡辺秀子さん(32)、高敬美さん(6)、高剛さん(3)が失踪 →詳細 ↑34年後
  • 7/7
    千葉で古川了子さん(18)が失踪
  • 7月
    石川で遠山文子さん(21)が失踪
昭和47年  1972年
  • 11/1
    東京で生島孝子さん(31)が失踪
  • 9/29
    日中共同声明調印、台湾と断交
  • 5/15
    沖縄が日本に復帰
昭和46年  1971年
  • 12/30
    鹿児島で園田一さん(53)、園田トシ子さん(42)が失踪
昭和45年  1970年
  • 8/8
    福岡で加藤久美子さん(22)が失踪
  • 3/31
    よど号ハイジャック事件 →詳細 ↑32年後
    犯人らは北朝鮮に亡命
  • 2/10
    石川で七條一さん(21)が失踪
昭和44年  1969年
  • 7/27
    静岡で大屋敷正行さん(16)が失踪
  • 3/2
    青森で今井裕さん(18)が失踪
昭和43年  1968年
  • 12/12
    北海道で国井えり子さん(17)が失踪
  • 12/1
    北海道で斉藤裕さん(18)が失踪
  • 6/26
    小笠原諸島が日本に復帰
  • 2/9
    富山で水島慎一さん(18)が失踪
  • 1月
    富山で屋木しのぶさん(19)が失踪
昭和42年  1967年
  • 11/7
    北海道で紙谷慶五郎さん(55)、紙谷圭剛さん(26)、紙谷礼人さん(19)、紙谷速水さん(16)が失踪
昭和41年  1966年
  • 9/29
    東京で日高信夫さん(21)が失踪
昭和40年  1965年
  • 12/18
    日韓基本条約発効
  • 6/9
    東京で坂本とし子さん(22)が失踪
  • 3/26
    新潟で藤田進さん(17)(同姓同名の失踪者あり)が失踪
昭和39年  1964年
昭和38年  1963年
昭和37年  1962年
  • 4月
    千葉で加瀬テル子さん(17)が失踪
昭和36年  1961年
  • ーー
    小住健蔵さん(27)が失踪 ↑24年後
昭和35年  1960年
  • ーー
    東京で藤田慎さん(29)が失踪
  • 9/21
    東京で宮澤康男さん(17)が失踪
  • 2/27
    秋田で木村かほるさん(21)が失踪
昭和34年  1959年
  • 12/14
    在日朝鮮人帰還事業が始まる(昭和59年まで) →動画、詳細 ↑38年後
    ○柳澤錬造君 (前略)昭和三十四年の一月に、当時の藤山外務大臣が人道主義に基づいて北朝鮮帰還事業を開始するということを了解しまして、二月の閣議においてその実務を国際赤十字委員会に依頼をいたしまして、八月に日本赤十字社と北朝鮮赤十字会との間でカルカッタ協定が結ばれたことは御存じだと思います。その年の十二月十四日に新潟港から第一次船が出港いたしまして、自来百八十七次にわたって九万三千三百四十人の在日朝鮮人が帰還をしているはずなんです。その際同行した日本国籍保有者というのが六千六百人、そして日本人妻と言われる人たちが千八百三十一人というふうに把握をしているわけなんですが、この数字が間違いないかどうかということをまず御質問いたします。
    ○政府委員(小林俊二君) 先生御指摘のとおり、総数九万三千三百四十人、日本国籍保有者六千六百七十九名、その内訳といたしまして、いわゆる日本人妻と把握されておる人物が千八百三十一名でございます
    第102回国会 参議院 法務委員会 第5号 昭和60年4月2日 No.139~
昭和33年  1958年
昭和32年  1957年
昭和31年  1956年
  • 12/12
    日ソ共同宣言発効
昭和30年  1955年
昭和29年  1954年
昭和28年  1953年
  • 12/25
    奄美群島が日本に復帰
  • 10/7
    長崎で徳永陽一郎さん(18)が失踪
  • 7/27
    朝鮮戦争停戦
昭和27年  1952年
  • 4/28
    サンフランシスコ講和条約発効(大東亜戦争終戦、主権回復)
  • 1/18
    李承晩(リショウバン)ラインを設定
    韓国は、一九五二年、海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線、これは李承晩ラインと言われておりますが、これを引き、竹島は韓国の支配下にあると一方的に宣言しました。一九五二年のこの宣言から一九六五年の日韓基本条約締結までに、韓国軍は、ラインを越境したというのを理由に、日本漁船三百二十八隻を拿捕し、日本人四十四人を死傷させ、三千九百二十九人を抑留しました。また、韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等は十五件に及び、十六隻が攻撃されました。その後も竹島を軍事力で支配をしています。
    第198回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号 平成31年2月27日 No.49~
    平和条約署名、李承晩ライン|内閣官房
昭和26年  1951年
昭和25年  1950年
  • 6/25
    北朝鮮が38度線を超えて韓国に侵攻、朝鮮戦争開戦
昭和24年  1949年
  • 10/1
    毛沢東が中華人民共和国樹立を宣言
昭和23年  1948年
  • 9/9
    金日成が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)樹立を宣言
  • 8/15
    李承晩が大韓民国樹立を宣言
昭和22年  1947年
  • 5/3
    日本国憲法施行
    前文 (前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)
    第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
    日本国憲法|衆議院
昭和21年  1946年
昭和20年  1945年
  • 10/25
    蔣介石が台湾に上陸
  • 9/2
    ポツダム宣言受諾調印(大東亜戦争休戦、被占領)
  • 8/29
    マッカーサーが日本に上陸
  • 8/15
    玉音放送
  • 8/14
    ポツダム宣言受諾
  • 8/14
    大東亜戦争終結の詔書
  • 8/9
    ソ連が日本に宣戦布告
    満州、朝鮮半島、樺太、千島列島に侵攻(8/14以降も継続)
    日本人がシベリアに抑留される(昭和31年まで)
    日本船舶が拿捕され続ける →詳細
    ○政府委員(河野義男君) ソ連に抑留された方の総数は約五十七万五千名でございます。そのうちモンゴルに抑留された方が一万三千四百名、それから帰還された方の数は四十七万三千名でございます。そのうち一万一千七百名がモンゴルから帰還された方です。それから、抑留されて死亡されたと推定される方の数が五万五千名でございます。それから、病弱等のために、一たんソ連に入られましてまた再び満州に送られた方が四万七千名でございます。それから現在残留しておられる方の数が九十四名でございます。以上のような状況でございます。
    第84回国会 参議院 内閣委員会 第9号 昭和53年4月25日 No.192~
    シベリア抑留中死亡者に関する資料の調査について|厚生労働省
  • 8/9
    アメリカが長崎に原爆を投下
  • 8/6
    アメリカが広島に原爆を投下

参考

北朝鮮による拉致容疑事案について|警察庁Webサイト

拉致の可能性を排除できない事案に係る方々|警察庁Webサイト

拉致被害者リスト | 救う会

失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会

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